生年月日データベース

板東英二ばんどうえいじ

プロ野球選手、タレント俳優[日本]

1940年 4月5日

板東英二 - ウィキペディアより引用

板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、日本の元プロ野球選手・野球解説者・タレント・司会者・俳優・実業家。
愛称は板ちゃん(ばんちゃん)で、「坂東英二」は誤記である。
満州国(現在の中国東北部)虎林生まれの徳島県板野郡板東町(現在の鳴門市)育ち。
既婚者で、2女の父親でもある。
また、2012年8月31日以降は、鳴門市からの委嘱で「鳴門観光大使」を務めている。
プロ野球選手としては、中日ドラゴンズに所属していた。
タレントとしては、個人事務所のオフィスメイ・ワーク(メイ・ワーク、メイワーク)に所属(? - 2013年)し社長も務めていた(2000年から2012年までは、スターダストプロモーションと提携)。
2014年1月16日からは、吉本興業(厳密には、子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属している(なお、1990年代から2000年代頃にも、吉本興業所属または専属タレントと紹介するメディアはあったが、この頃は所属していなかった)。

■ 映像作品

■ 関連書籍

■ 音楽作品

プロ野球選手・解説者。司会者。俳優。 右投右打、ポジションは投手。背番号は14→30→14番。 1940年4月5日、旧満州国生まれ。徳島県板野郡大麻町(現鳴門市)出身。血液型O型。 1956年、徳島商業高校に入学。その年の夏の甲子園に出場するも1回戦で敗れた。 1958年夏、再び甲子園に出場。秋田商業高校、八女高校を下して迎えた準々決勝・魚津高校戦。 18回で25の三振を奪うが相手投手・村椿輝雄も譲らず、0対0のまま引き分け再試合となった*1。 この再試合も完投し勝利。準決勝では作新学院高校を破ったが、決勝で柳井高校に敗れた。*2 1959年、中日ドラゴンズに入団。 1960年、近藤貞雄の勧めで、先発投手からリリーフ投手に転向。 「投手分業制」のさきがけとして、セーブ規定が無い時代の貴重なリリーフ投手であった。 1969年、現役引退。 権藤博、高木守道、井手峻とは親友。 1974年、優勝を記念して山本正之の「燃えよドラゴンズ!」を歌った。 現在は野球解説者、司会者・俳優として活躍。 マスターズリーグ・名古屋エイティディザーズの選手としても活躍。 モルツドリームマッチでは、モルツ球団の対戦チームのGM、監督としても活躍している。 現在は名古屋に在住し、仕事で東京や大阪へ行ったり来たりの忙しい日々を送る。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 出典
  • 満州国
  • 板東
  • 英二
  • えいじ
  • ばんどう
  • レイアウト
  • 不足
  • 伝記
  • 出生地
  • 本名
  • 東安
  • 生年月日