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上原浩治うえはらこうじ

プロ野球選手、メジャーリーガー[日本]

1975年 4月3日

上原浩治 - ウィキペディアより引用

上原 浩治(うえはら こうじ、1975年4月3日 - )は、大阪府寝屋川市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
MLB・ボストン・レッドソックス所属。
プロ入り前 大阪府寝屋川市出身。
実父が監督を務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始めた。
寝屋川市立第十中学校では野球部が無かったため、同じ団地内にある「明徳アスナローズ」で野球を続けながら、陸上部に所属した。
高校は自転車で通えて野球が強いという理由から東海大学付属仰星高等学校に進学した。
1、2年時は中学時代に陸上部で鍛えた脚力を見込まれて外野手を務める一方で、練習では打撃投手を務めることも多かった。
3年になって投手になるが建山義紀の控えでほとんど登板機会がなく、同校も夏の府大会で敗退したため全くの無名選手であった。
その頃、建山がプロ球団などから勧誘される中、上原は体育教師になる夢を叶えるため大阪体育大学への進学に備える。
受験にあたっては運動能力、学力とも合格ラインに達していると自負していたが、結果は不合格であった。

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プロ野球選手。投手。右投げ右打ち。1975年4月3日生まれ、大阪府寝屋川市出身。身長188cm、体重88.5kg。米国メジャーリーグのボストン・レッドソックスに所属。 東海大学付属仰星高等学校時代は無名の外野手兼控え投手だったが、1年の浪人を経て入学した大阪体育大学では、1年時からエースとして頭角を現し、3年時には阪神大学リーグ記録となる1試合21奪三振を記録。また、4年時の春季リーグ姫路獨協大学戦でノーヒットノーランを達成するなど、リーグ通算36勝を挙げ、4度の最優秀投手賞を受賞した。 98年のドラフト会議を前に、メジャーリーグ4球団を含む複数球団が獲得の名乗りを上げたが、当時の逆指名制度により読売巨人軍に入団した。 プロ野球では1年目からエースとして活躍。新人としては木田勇(当時日本ハムファイターズ)以来19年ぶりとなる20勝をあげ、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王、沢村賞を受賞。オールスターゲームにも出場した。 その後も、02年には17勝で沢村賞を獲得し、日本シリーズで優秀選手賞を受賞。03年にも16勝を挙げるなど、球界を代表するエースとして活躍した。04年のアテネ五輪、06年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)などでも勝利をあげ、国際試合での強さも発揮した。 08年11月、FA宣言を行い、メジャーリーグに挑戦することを表明。09年1月、ボルチモア・オリオールズと2年契約で合意し、入団した。4月にはヤンキース戦に先発し、5回1失点でメジャー初勝利。巨人時代の同僚、松井秀喜を3打数無安打に抑えた。 その後は、故障に苦しみながらセットアッパーや抑え投手として …… (引用元 コトバンク)

連想語句
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