生年月日データベース

多村仁たむらひとし

プロ野球選手[日本]

1977年 3月28日

多村仁 - ウィキペディアより引用

多村 仁志(たむら ひとし、本名:多村 仁(読み同じ)、1977年3月28日 - )は、中日ドラゴンズに所属する神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。
プロ入り前 横浜高校時代は斉藤宜之、紀田彰一とクリーンナップを組み3年生の春夏連続(1994年)で甲子園に出場。
第66回選抜高等学校野球大会の一回戦で、赤星憲広擁する大府高校と対戦した。
高校通算14本塁打。
1994年のドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。
背番号は52。
このときの登録名は本名の多村 仁。
横浜時代 1995年、1996年は一軍出場がなく、1996年オフに行われた教育リーグにおいて本塁打、打点の記録を樹立。
1997年4月4日、開幕戦の対中日ドラゴンズ戦で公式戦初出場。
この試合はナゴヤドーム初の公式戦で、多村は7回表に開幕投手の盛田幸妃の代打として登場。
プロ初打席は山本昌から外野フライに終わった。
4月8日、対阪神タイガース戦で田村勤からプロ入り初安打を記録。
2000年に背番号を55に変更。
一軍復帰を果たし、外野レギュラーの波留敏夫の故障などもあり、主に代打、途中出場で一軍に定着した。

■ 映像作品

■ 関連書籍

プロ野球選手(外野手)。 1977年3月28日生まれ。神奈川県出身。右投右打。通称「スペランカー」。*1登録名・多村仁志*2。 入団から2003年までの9年間で通算186安打、32本塁打、97打点だったが、2004年に多少の怪我をおして出場したところ、137安打、40本塁打、100打点を記録、プロ入り初の規定打席到達ならびに打率3割を達成した。 打撃コーチである田代富雄の薫陶を受け、リーグを代表する和製大砲へと成長。 堅実な守備と右方向への長打が特徴。 2006年はWBCでチーム内最多本塁打を打つなど活躍したが、シーズンは相次ぐ怪我でわずか39試合の出場に留まる。 契約更改で保留することで有名。 2007年は新天地福岡で144試合全試合出場を目標としている。 2010年、オールスターゲームに初出場。この年は恒例の故障離脱もなく、一年を通して活躍しホークスのリーグ優勝に貢献。 2012年オフ、3対3の大型トレードでベイスターズに復帰。 2016年、中日ドラゴンズに移籍。 (引用元 Hatena Keyword)

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