誕生日データベース

鹿取義隆かとりよしたか

プロ野球選手、巨人軍ゼネラルマネージャー[日本]

1957年 3月10日

鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
現役時代は巨人、西武で中継ぎ・抑えとして活躍した。
2011年からはスポーツ報知で野球評論家、RFラジオ日本で野球解説者を務める。
アマチュア時代 高知商では2年の夏に背番号10の控え投手として甲子園に出場。
2回戦で山倉和博を擁する東邦高校、3回戦で盛岡三高を破ってベスト8に進出したが、金光興二や達川光男を擁する広島商に2対7で敗れた。
この試合では鹿取も救援で登板し、失点している。
3年夏は高知県大会の3回戦で同年の南四国大会を制した高知高校に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。
高校の先輩が数名在籍していた事もあり、野球部のセレクションを受けて明治大学に進学した。
同期には高橋三千丈や豊田誠佑がいた。
1年の春から打撃投手を務め、2年春の六大学リーグ戦からベンチ入りしている。
監督島岡吉郎の下で毎日500球を投げ込むほどの猛練習を重ね、高橋とともに投手陣を支えた。

■ 映像作品

■ 関連書籍

80年代のプロ野球選手。 右投右打、ポジションは投手。背番号は29→26番。 1957年3月10日生まれ。 高知県出身。 高知商業高校で1974年夏の甲子園出場。 卒業後、明治大学に進学し、東京六大学野球通算21勝を挙げる。 1979年、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。 1987年には、63試合のリーグ最多登板でジャイアンツのリーグ優勝を支えた。 1990年、西岡良洋との交換トレードで西武ライオンズに移籍。 同年、ファイアマン賞を受賞。 潮崎哲也・杉山賢人と共にリリーフの三本柱としてライオンズの黄金時代に貢献。 1996年、セーブポイントの日本記録を樹立。 1997年、現役引退。現役通算755試合に登板。 2001年、米国マイナーリーグへコーチ留学。 2002年、読売ジャイアンツのヘッドコーチに就任。 2003年、退団。 2005年、茨城ゴールデンゴールズのヘッドコーチに就任。1年で退団。 2006年、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表のヘッドコーチに就任。 現在は野球解説者の側ら、マスターズリーグ・札幌アンビシャスの選手として活躍。 息子は鹿取真央。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 時代
  • 現役
  • リリーフ
  • 西武ライオンズ
  • 読売ジャイアンツ
  • アマチュア
  • エピソード
  • スタイル
  • ゼネラル
  • テレビ
  • プレー
  • プロ野球
  • マネージャー
  • 出演
  • 対戦
  • 引退
  • 打者
  • 投手
  • 考え方
  • 選手
  • 香美市
  • 高知県
  • かとり
  • よしたか
  • 中継ぎ
  • 出身
  • 右打
  • 右投
  • 埼玉西武ライオンズ
  • 巨人
  • 巨人軍
  • 指導者
  • 本部長
  • 活躍
  • 現在
  • 球団
  • 編成
  • 義隆
  • 詳細
  • 読売
  • 野球
  • 鹿取