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竹中平蔵たけなかへいぞう

経済学者政治家[日本]

1951年 3月3日

竹中平蔵 - ウィキペディアより引用

竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年3月3日 ‐ )は、日本の実業家、教育者、元政治家、元団体職員。
東洋大学国際地域学部教授、慶應義塾大学名誉教授、パソナグループ取締役会長、アカデミーヒルズ理事長、外為どっとコム総合研究所研究員、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、専門は経済政策。
政府産業競争力会議(民間)議員、国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員を務める。
元経済財政政策担当大臣、元金融担当大臣、元総務大臣。
元参議院議員。
生い立ち 和歌山県和歌山市小松原通にある商店街の小さな履物小売商の次男として、1951年(昭和26年)に生まれる。
実家は近所では比較的裕福な家庭で、実兄の竹中宣雄は、後にミサワホーム社長となる人物であった。
和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校、和歌山県立桐蔭高等学校に進む。
1973年(昭和48年)に一橋大学経済学部を卒業。

■ 関連書籍

たけなかへいぞう(1951―) 経済学者、政治家。和歌山県生まれ。1973年(昭和48)一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員を経て、1982年から大蔵省財政金融研究室(現財務省財務総合政策研究所)主任研究官。1987年大阪大学経済学部助教授。1989年(平成1)ハーバード大学客員准教授、IIE(アメリカ国際経済研究所)客員フェロー。1990年慶応義塾大学総合政策学部助教授、1996年同教授。規制緩和推進論者で、日本の経済政策に対して積極的な提言をする「実践指向の経済学者」として知られた。1998年、当時の首相小渕恵三(おぶちけいぞう)が発足させた経済戦略会議のメンバーとなる。IT(情報技術)の重要性を説き、2000年にはIT戦略会議(内閣総理大臣の諮問機関)で主導的役割を果たし、森喜朗(もりよしろう)内閣の経済政策ブレーンを務めた。2001年、旧知の小泉純一郎に懇請され、構造改革の推進役として小泉内閣の経済財政政策担当大臣(2002年に金融担当大臣を兼務)に就任した。2004年参議院議員に当選、小泉内閣の経済財政政策・郵政民営化担当大臣として郵政民営化にあたった。2005年には総務大臣・郵政民営化担当大臣となったが、2006年に小泉内閣が終了すると、議員の任期を残したまま政界を引退、その後慶応義塾大学の教授となった。経済理論・政策をわかりやすく説明する能力には定評がある。おもな著書に『研究開発と設備投資の経済学』(1984)、『日本経済の国際化と企業投資』(1993)、『ITパワー』(中谷巌と共著。2000)などがある。[編集部]『竹中平蔵、小川一 …… (引用元 コトバンク)

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