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米田哲也よねだてつや

プロ野球選手、解説者[日本]

1938年 3月3日

米田哲也 - ウィキペディアより引用

米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥取県米子市出身のの元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
プロ野球歴代1位の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。
その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれる。
来歴・人物 プロ入り前 鳥取県米子市大篠津町出身。
父・米田雅明は薪炭雑貨商。
米子市立美保中学校(後輩に角盈男がいる)では陸上の走高跳の選手だった。
卒業後境高校へ進学。
元々は捕手であったが、境高校入学後に真木一夫部長の「お前の顔では投手が恐がる、逆に投手になって相手を怖がらせるんだ」という言葉がきっかけで投手に転向。
1年秋から本格派投手として注目を集めた。
高校時代からカーブ、シュート、スライダーも習得しており、社会人野球の米子鉄道管理局ともよく練習試合をしたが、「そんなに打たれた記憶はない」という。
米子と言う土地柄、プロ野球はラジオで聞く程度だったが、米子市営湊山球場で行われた大阪タイガース(阪神)と国鉄スワローズの試合を見たことがある。

■ 関連書籍

プロ野球選手。  通称「タフマン」「ガソリンタンク」「人間機関車」。 右投右打、ポジションは投手。背番号は18番。 1938年3月3日生まれ。鳥取県出身。 境高から1956年、阪急ブレーブスに入団。*1 1年目より9勝、2年目に21勝をあげて以後、ブレーブスのエースとして活躍。 「ヨネボール」と呼ばれるフォークボールも武器に、左腕梶本隆夫と共に「ヨネ・カジ」コンビを成した。 1966年、25勝で最多勝。同年、通算200勝を達成。 1967年、18勝を挙げパ・リーグ初優勝に貢献。1968年には自己最高の29勝をあげMVPに輝く。 打撃にも優れ、プロ入り2打席目に満塁本塁打を放っている。*2 1971年、通算300勝達成。 1975年、登板機会を求め、阪神タイガースに移籍。 1977年、近鉄バファローズに移籍。同年、現役引退。 20勝以上を8回、18年連続2桁勝利を記録。949試合登板は歴代1位。通算350勝は金田正一の400勝に次ぐ歴代2位である。*3 引退後は関西テレビの野球解説者を務める。 1985年、吉田義男に招聘され阪神タイガースの投手コーチに就任し、優勝に導く。 1992年、オリックス・ブルーウェーブの投手コーチに就任し古巣復帰。 1995年、近鉄バファローズの投手コーチを務める。同年、退団。 2000年、野球殿堂入り。 *1:大阪タイガースとの2重契約が発覚したが、コミッショナー裁定により阪急への入団となった。 *2:これは1983年に駒田徳広(当時巨人)に更新されるまでの満塁本塁打の最短記録。通算33本塁打は、投手の本塁打数としてこれも金田正一に次ぐ2位。 *3:数々の成績を残しているが、米田の現役時代はパシフィック・ …… (引用元 Hatena Keyword)

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