誕生日データベース

新井宏昌あらいひろまさ

プロ野球選手、コーチ[韓国→日本]

1952年 4月26日

新井宏昌 - ウィキペディアより引用

新井 宏昌(あらい ひろまさ、本名同じ、1952年4月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ・監督。
日本プロ野球名球会会員。
大阪府大阪市東成区出身。
在日コリアンの三世として生まれ、かつての本名は朴 鐘律(パク・ジョンリュル / パクジヨンリユル)。
高校野球・大学野球での登録名やプロ野球ドラフト会議指名時点の通名は新井 鐘律(あらい かねのり / あらい しょうりつ)だった。
のちに帰化・日本国籍を取得し、本名と登録名が同一化された。
現役時代は南海ホークスや近鉄バファローズで活躍。
巧みなバットコントロールによる状況に応じたシュアなバッティングが特徴で、2000本安打に加え300犠打をマークするなどチームプレーにおいて欠かせない存在感を示した。
1992年に40歳で現役を引退してからは、野球解説者・野球評論家としての活動をはさみながら、複数の球団でコーチや二軍監督を務めている。
長女は2011年度ミス日本でミス着物に選ばれた新井寿枝(画家・ファッションモデル)、三女は2012年度ミス日本グランプリの新井貴子(モデル、アルティメット選手)である。

■ 関連書籍

プロ野球選手(外野手)。、指導者、解説者。 1952年4月26日生まれ。大阪府大阪市東成区出身。右投左打。旧名「新井鐘律」*1。 現役時代は70年代から80年代にかけて活躍。リーディングヒッター、バント・バスターの名手としてホークスを支えた。バファローズ移籍後は大石大二郎との1,2番コンビで活躍。いてまえ打線を牽引し、1988年の快進撃や1989年のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。 1987年にはオールスターに初出場。打率.366で首位打者を獲得。当時のパ・リーグ記録となる184安打*2を記録した。 1992年7月8日のオリックス・ブルーウェーブ戦で通算2000本安打を達成。また、同年通算300犠打を達成。いぶし銀の2番打者として安打を量産し、体のブレがない教科書通りのフォームを持ち、コンパクトなスイングで鳴らした。 1979年に打率.358、1982年も打率.315と高打率を残しながらを残したが共に2位に終わり、タイトル獲得はならなかった。 1992年に現役引退し解説者に転身。マスターズリーグ・大阪ロマンズの選手として活躍。1994年からは指導者の道を歩み始め、ブルーウェーブではイチロー、田口壮、ホークスでは村松有人らを育てた。日本プロ野球界屈指の名打撃コーチに数えられる。コーチの時の背番号は69か81以外着用していない。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 出典
  • 日本
  • コーチ
  • スタジアム
  • マツダ
  • レイアウト
  • 一軍
  • 不足
  • 伝記
  • 国籍
  • 基本
  • 宏昌
  • 広島
  • 打撃
  • 新井
  • 時代