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秋山登

プロ野球選手[日本]

1934年 2月3日

秋山登 - ウィキペディアより引用
秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000年8月12日)は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
現役時代からコーチ・監督時代まで大洋ホエールズ一筋を貫いた人物。
来歴・人物 プロ入りまで 岡山東高では、高校、大学の同期である土井淳とバッテリーを組み、1951年の夏の甲子園に出場。
1回戦で高松一高と対戦するが、中西太に本塁打を喫し大敗した。
卒業後は明治大学に進学。
東京六大学リーグでは1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め3度優勝。
1954年、1955年の全日本大学野球選手権に連続優勝。
リーグ通算で70試合登板33勝18敗、防御率1.48、334奪三振、ベストナイン1回。
3年生春の東大戦での1試合22奪三振はリーグ記録。
当時、「黒雲なびく駿河台」と校歌をもじられるまで弱体化していた島岡吉郎監督下の明治大学に、第一期黄金時代をもたらした。
明大時代、島岡監督から毎日1000球の投げ込みを課せられていた。
現在なら批判されるような無茶な練習であるが、秋山は毎日こなし、これが強靭な身体と投球術を身に付ける原因となりプロ入り後の大きな財産となった。
連想語句
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