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猫田勝敏ねこたかつとし

バレーボール選手[日本]

1944年 2月1日

猫田勝敏 - ウィキペディアより引用

猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 1983年9月4日)は、日本の元男子バレーボール選手。
広島県広島市安佐南区安古市町(旧・安佐郡安古市町)出身。
1964年東京オリンピックからモントリオールオリンピックまで、4大会連続でオリンピック出場(日本のバレー男子選手で最多)を果たし、金・銀・銅の3個のメダルを獲得、「世界一のセッター」と称された。
またそのトスの正確さから、当時世に知られ始めたばかりのコンピュータから名を取って「日本のコンピュータ猫田」とも呼ばれた。
日本バレーボール協会の「バレーボール栄誉選手賞」受賞。
国際バレーボール連盟の「世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞」受賞。
努力家であり人格者でもあり、生涯をバレーボールに費やした。
奇策「天井サーブ」を編み出したことでも知られる。
練習、合宿、遠征、試合の連続で家族を顧みることも出来なかったが、それを思ってか胃癌に侵された際の闘病中に「かあちゃん、すまん」という言葉を残した。

■ 関連書籍

ねこだかつとし [生]1944.2.1.広島[没]1983.9.4.広島バレーボール選手。広島・崇徳高校から専売公社広島に入社。1964年20歳で東京オリンピック競技大会の日本代表となった。東京大会は銅メダルに終わったが,1965年に松平康隆監督のもとで速攻主体のコンビネーションバレーが導入されると以後チームの中核となった。その的確なトスワークで大古誠司,森田淳悟,横田忠義ら大型選手に縦横にスパイクを打たせ,1968年メキシコ・オリンピック競技大会の銀メダル,1972年ミュンヘン・オリンピック競技大会の金メダル獲得の原動力となった。冷静な判断と臨機応変のトスは「世界一の名セッター」として注目され,「猫田に憧れてバレーを始めた」という外国選手も多い。1976年モントリオール・オリンピック競技大会にも出場(メダルなし),オリンピック連続4回出場の記録をもつ。モントリオール大会では日本選手団の旗手も務めた。1980年に引退,専売公社広島の監督となったが,1982年に胃癌が発見され入院。翌1983年39歳の若さで世を去った。1980年に日本バレーボール協会から初の栄誉選手賞を,2000年には国際バレーボール連盟から20世紀男子最優秀選手特別賞を贈られた。 (引用元 コトバンク)

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