生年月日データベース

三浦朱門みうらしゅもん

作家[日本]

1926年 1月12日

2017年 2月3日 死去間質性肺炎享年92歳
三浦朱門 - ウィキペディアより引用

三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年(大正15年)1月12日 - )は、日本の作家。
日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。
東京府豊多摩郡(現・東京都中野区)東中野生まれ。
父はイタリア文学者の三浦逸雄。
2歳半ほどで東京府北多摩郡武蔵野村境(現・東京都武蔵野市境)に移り、さらに杉並区高円寺で育つ。
野方第五尋常小学校(現・中野区立啓明小学校)、東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学在学中、学徒動員で一兵士として軍隊に入り、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える。
復学後、1948年東京大学文学部言語学科卒業。
1950年第17次『新思潮』に参加し、1951年の「冥府山水図」で「芥川の再来」と呼ばれ、1952年「斧と馬丁」で芥川賞候補となり、作家活動に入る。
妻の曽野綾子(本名は三浦知寿子)とともに、“第三の新人”の一人。
父の口利きで1948年から日本大学芸術学部非常勤講師となり、1952年10月助教授に進み、1967年10月教授となるが、もともと日大の教員になったのは三流私大なら不勉強な自分でも教えられるだろうと高を括ったためであり、殊に30代半ば以降は作家としての収入が助教授の給料の数倍に達し、教員をするのがバカらしくなり、そういう気持ちが態度や勤務状況に反映して同僚から反感を買ったという。

■ 映像作品

■ 関連書籍

作家。元文化庁長官。 1926年1月12日、生まれ。2017年2月3日、死去。 東京出身。東京大学文学部言語学科卒 保守派の論客として、戦後民主主義を批判する著作を多数出版。政府の各種諮問委員を数多く引き受けている。文部科学省の諮問について「二次方程式の解の公式」は、「妻の曽野綾子が日常使わないから」と、中学校のカリキュラムから外させた暴挙で有名。 1953年 作家の曾野綾子と結婚。 1963年 カトリックの洗礼を受ける 1967年 「箱庭」で第14回新潮社文学賞受賞 1970年 聖シルベスト勲章受賞。 1983年 「武蔵野インディアン」で芸術選奨文部大臣賞受賞 1985年 文化庁長官に就任(〜1986年8月) 1987年 日本芸術院会員。 1999年 文化功労者受賞 。 2004年 日本芸術院院長に選出。 (引用元 Hatena Keyword)

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