生年月日データベース

細川幽斎ほそかわゆうさい

戦国大名[日本]

(天文3年4月22日生)

(ユリウス暦) 1534年 6月3日

1610年 10月6日 死去享年77歳
細川幽斎 - ウィキペディアより引用

細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)/ 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
歌人。
幽斎は雅号。
法名を玄旨。
初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は15代将軍・足利義昭の擁立に尽力するが、後に織田信長に従い、長岡 藤孝(ながおか ふじたか)を名乗って丹後宮津11万石の大名となった。
本能寺の変の後、主君・信長の死に殉じて剃髪し、家督を忠興に譲るが、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。
また、二条流の歌道伝承者・三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。
生涯 幕臣時代 天文3年(1534年)4月22日、三淵晴員(和泉上守護家細川元有の子で、三淵氏の養子となっていた)の次男として京都東山に生まれる。
幼名を萬吉(まんきち)といった。
天文9年(1540年)、7歳で伯父である和泉半国守護・細川元常(三淵晴員の兄)の養子となったとされる。
しかし、これについては異説もある(#系譜)。
天文15年(1546年)、将軍・足利義藤(後の足利義輝)の偏諱を受け、藤孝を名乗る。

■ 関連書籍

戦国武将。歌人。諱は藤孝。肥後熊本藩細川家の藩祖。 三淵晴員の次男で、伯父細川元常の養子。室町幕府第12代将軍足利義晴の御落胤ともいう。 足利将軍家に仕え、第13代将軍足利義輝が松永久秀・三好三人衆らの襲撃を受けて殺害されると、奈良に居た義輝の弟(のちの足利義昭)を担ぎ出し、朝倉義景ついで織田信長を頼って、義昭の将軍就任を実現した。 しかし、義昭と信長の関係が悪化し、天正三年(1573)に義昭が打倒信長の兵を挙げるとこれを見限り、以後織田氏の部将として活動。 明智光秀の与力として丹波・丹後攻略に尽力し、平定後は丹後一国を拝領。 本能寺の変では、明智光秀からの要請を断り、剃髪して家督を嫡男細川忠興に譲った。 関ヶ原の戦いでは東軍に属して丹後田辺城に篭城。忠興が主力を率いて出陣していたため、少ない兵で西軍方の大軍に包囲されたがよく持ちこたえ、最後は勅命を受けて開城している。 また、有職故実に通じた教養人であり、和歌では三条西実枝より古今伝授を受けている。 私家集に「衆妙集」、歌論に「幽斎翁聞書」などがある。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
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