生年月日データベース

隠元隆琦いんげんりゅうき

[中国]

(日本に黄檗宗を伝える)

1592年 12月7日

1673年 5月19日 死去
隠元隆琦 - ウィキペディアより引用

隠元隆琦(いんげん りゅうき、特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師、勅賜として真空大師、華光大師、厳統大師、万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉)は、明末清初の禅宗の仏教僧。
江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。
俗姓は林氏。
福建省福州府福清県の出身。
隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅と様々教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。
また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をした。
なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。
能書家としても知られ、木庵性瑫・即非如一とともに「黄檗の三筆」と称される。
江戸時代前期の文化のうち、隠元の影響が見られるこれらを「黄檗文化」と総称することもある。

推定関連画像

隠元隆琦さんが誕生してから、431年と109日が経過しました。(157532日)
亡くなってから、350年と311日が経ちました。(128149日)
29383日間 生きました。