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権藤博ごんどうひろし

プロ野球選手、監督、解説者[日本]

1938年 12月2日

権藤博 - ウィキペディアより引用
権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)・監督、野球指導者、野球評論家。
次女は「株式会社 SONOKO(旧:トキノ)」の社長権藤嘉江子。
プロ入り前 鳥栖高校ではもともとは内野手であったが、投手不在となり投手に転向。
1956年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが佐賀商に惜敗。
甲子園には行けなかったもののその活躍からプロ野球の西鉄ライオンズにスカウトされたが、この誘いを断り社会人野球のブリヂストンタイヤに入社、同社の久留米工場野球部でプレーしていた。
もとより身体能力は抜群で、他分野からも高い評価を受けていた。
織田幹雄が「何とかコイツを1964年東京オリンピックに出せないものか。
出れば金メダルは確実」とため息をついたという。
東京オリンピックに向けて陸上競技400mハードルの選手に転向してほしいという要請があったという逸話がある。
1960年の都市対抗に日鉄二瀬の補強選手として出場し、2試合で好投。
いくつもの球団からスカウトされたが、最終的に「契約金はどの球団よりも高くする」と言われた読売ジャイアンツの誘いを断り1961年に中日ドラゴンズに入団。

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