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島津久光しまづひさみつ

薩摩藩の国父、公爵[日本]

(文化14年10月24日生)

1817年 12月2日

1887年 12月6日 死去享年71歳
島津久光 - ウィキペディアより引用

島津 久光(しまづ ひさみつ)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の政治家。
幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。
明治政府の内閣顧問、左大臣。
重富島津家当主、のち玉里島津家初代当主。
位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。
字は君輝、邦行。
雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・双松・玩古道人・無志翁と号した。
島津家27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男。
同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄、同29代当主(12代藩主)島津忠義は長男。
次男・久治は宮之城家、四男・珍彦は重富家、五男・忠欽は今和泉家、と島津家の旧来の分家をそれぞれ相続した。
曾孫に香淳皇后、玄孫に今上天皇がいる。
生涯 若年期 文化14年(1817年)10月24日、薩摩国鹿児島郡(現鹿児島県鹿児島市)の鹿児島城において誕生する。
生母は斉興の側室・お由羅の方。
幼名は普之進(かねのしん)。
文政元年(1818年)3月1日に種子島久道の養子となり、公子(藩主の子)の待遇を受ける。

■ 関連書籍

幕末・明治の政治家。薩摩藩主島津斉興の三男。島津斉彬は異母兄。初名は忠教、幼名は普之進・又次郎。号は頑古道人・大簡等。兄斉彬の遺命で子忠義が藩主の座につき、久光は国父として藩政の実権を掌握する。公武合体周旋のため兵を率いて入京し、寺田屋騒動では藩内尊攘派を武力鎮圧した。さらに勅使大原重徳を奉じて江戸に向かい幕政改革を実行した。新政府では左大臣に任じられる。明治20年(1887)歿、71才。 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 島津家
  • 当主
  • 島津氏
  • 最高
  • 薩摩藩
  • 藩主
  • 五男
  • 今和泉
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  • 公武
  • 公爵
  • 内閣
  • 勲等
  • 合体
  • 宮之城
  • 島津忠義
  • 島津斉彬
  • 島津斉興
  • 左大臣
  • 年期
  • 従一位
  • 忠欽
  • 掌握
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  • 雅号
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  • 島津久治
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