生年月日データベース

足利尊氏あしかがたかうじ

室町幕府初代将軍[日本]

(嘉元3年7月27日生)

(ユリウス暦) 1305年 8月18日

(ユリウス暦) 1358年 6月7日 死去享年54歳
足利尊氏 - ウィキペディアより引用

足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。
足利将軍家の祖。
足利貞氏の次男として生まれる。
足利氏の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏(たかうじ)と名乗っていた。
元弘3年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への叛乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。
幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、名を尊氏(たかうじ)に改める。
後醍醐の独裁体制である建武の新政が急速に人心を失っていく中、鎌倉方の残党が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり独自の武家政権を樹立する構えを見せた。
これにより天皇との関係が悪化し、上洛して一時は天皇を比叡山へ追いやった。
天皇側の反攻により一時は九州に都落ちしたものの、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧、光明天皇を擁立して征夷大将軍に補任され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。

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武将。室町幕府初代将軍。 もともとは足利高氏と名乗っていたが後醍醐天皇の諱・尊治から一字を取った足利尊氏の名を賜る。 楠木正成、新田義貞らとともに元弘の乱に参戦し鎌倉幕府を滅ぼした。 武士を軽んじる後醍醐天皇にだんだんと嫌気が差し、と言われることもあるが、実は当初から建武政権とは距離を置いていた。 中先代の乱が起こると征夷大将軍に就けるよう要求するが却下され、後醍醐天皇を見限りその命を受けずに出陣し、そのまま反旗を翻す。光明天皇を立て室町幕府を開いたが、南北朝の動乱はその後も長く続き、死ぬまで戦い続けている。。。 戦前は弓削道鏡、田沼意次と並ぶ三大悪人として教えられていた。正平一統での振舞いなどを考えると、特に尊皇派でなくともそう考える者もいよう。が、歴史上このような人物を挙げるときりがない。。。 (引用元 Hatena Keyword)

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