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久明親王ひさあきしんのう

皇族、鎌倉幕府第8代将軍[日本]

(建治2年9月11日生)

(ユリウス暦) 1276年 10月19日

久明親王(ひさあきしんのう/ひさあきらしんのう)は、鎌倉幕府8代征夷大将軍。
第89代後深草天皇の第六皇子。
生涯 正応2年(1289年)9月、従兄の前将軍・惟康親王が京に送還されたことにともない、征夷大将軍に就任した。
幕政の実権は得宗北条貞時が一貫して握っており、将軍は名目的な存在に過ぎなかった。
ゆえに在職中は特に業績もなかったが、冷泉為相を師として和歌を学んでいた久明親王は鎌倉歌壇の中心として歌合を主催しており、執権の北条貞時も複数の和歌を久明親王家で詠んでいる。
親王自身の和歌も22首が『新後撰和歌集』『玉葉和歌集』『続千載和歌集』など8つの勅撰集に入集している。
延慶元年(1308年)8月に北条氏によって将軍職を解任され、京に送還され出家した。
交代する形で8歳の子の守邦親王(前将軍惟康親王の娘との間に出来た子)が将軍となった。
鎌倉幕府の皇族将軍は先々代宗尊親王・先代惟康親王と放逐同前の形で京都へ送還されていたが、久明親王の場合京都へ送還された後も幕府との関係は平穏であったようで、嘉暦3年(1328年)に薨去した際には幕府は50日間沙汰を停止し、翌年正月には百箇日法要が鎌倉で行われている。

ひさあきしんのう [生]建治2(1276).9.11.京都[没]嘉暦3(1328).10.14.京都鎌倉幕府8代将軍(在職1289~1308)。後深草天皇の皇子。母は内大臣藤原公親の娘房子。正応2(1289)年親王宣下,次いで元服して三品に叙せられ,7代将軍惟康親王が廃されたあと征夷大将軍となり,関東に下向。時に14歳。永仁3(95)年二品,同5年式部卿,一品に進んだが,延慶1(1308)年幕府によって廃され,長子の守邦親王が代って将軍となった。のち落飾して素円と号した。詠歌が『新後撰集』その他に所収。 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 和歌
  • 生涯
  • 将軍
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  • 北条貞時
  • 在職
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  • 鎌倉