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水原秋桜子みずはらしゅうおうし

俳人[日本]

1892年 10月9日

1981年 7月17日 死去急性心不全享年90歳
水原秋桜子 - ウィキペディアより引用

水原 秋桜子(旧字表記:水原 秋櫻子、みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人・医師。
学位は医学博士。
本名は水原豊(みずはら ゆたか)。
松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。
短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。
「馬酔木」主宰。
別号に喜雨亭。
はじめ窪田空穂に師事、短歌で独自の叙情性を育てたが、のちに俳句へ転じた。
高浜虚子から指導を受け、昭和初期の「ホトトギス」を彩る四Sの一人として活躍。
従来の俳句に短歌的表現を取り入れるなど、新鮮な句作を行った。
しかし、虚子流の客観写生とは合わず、俳句誌「馬酔木」を主宰、叙情の回復を図った。
これに呼応して新興俳句運動が起き、無季俳句容認の道を開いたが、秋桜子自身は無季俳句には批判的であった。

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水原秋桜子さんが誕生してから、131年と160日が経過しました。(48008日)
亡くなってから、42年と245日が経ちました。(15586日)
32422日間 生きました。