生年月日データベース

奥野誠亮おくのせいすけ

政治家[日本]

1913年 7月12日

2016年 11月16日 死去老衰享年104歳

奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、政治家。
「おくの せいりょう」と呼ばれることもある(有職読み)。
浪速製氷冷蔵社長、奈良県議、御所町長を務めた奥野貞治の子。
奈良県御所市出身。
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会初代会長。
平城遷都1300年記念事業協会特別顧問。
奈良大学理事。
内務官僚時代 旧制畝傍中学、旧制一高を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部を卒業し、同年4月に内務省に入省。
長崎への原爆投下がされた翌朝に、内務省が各省庁の官房長を集めて会議を開いたが、当時、同省地方局戦時業務課の事務官をしており、ポツダム宣言に「戦争犯罪人は処罰する」(第10条)と書かれていたため、戦犯を出さないように公文書の焼却(=証拠隠滅)を提案した。

政治家、元衆議院議員。元官僚。 1913年(大正2年)7月12日 、生まれ。2016年(平成28年)11月16日、死去。 奈良県出身。 1938年(昭和13年)3月東京帝国大学法学部を卒業し、同年4月内務省に入省。太平洋戦争中、鹿児島県警察特高課長をしていたが、戦後の公職追放は免れた。1953年(昭和28年)自治庁税務部長。1957年(昭和32年)自治庁税務局長。昭和35年(1960年)自治省財務局長。1963年(昭和38年)7月に自治事務次官に就任。同10月に衆議院議員総選挙に立候補のため、退官。 1963年(昭和38年)11月、第30回衆議院議員総選挙に奈良全県区から自由民主党公認で立候補し当選。以後13回連続当選。 自民党では無派閥を通す。政治姿勢としては保守派、タカ派とも称され、憲法改正、靖国神社参拝などを主張してきた。いわゆる従軍慰安婦問題でも、積極的に反対論を展開していた。歴史観においても、大東亜戦争史観の信奉者である。 1972年(昭和47年)第2次田中角栄内閣で文部大臣として入閣。1980年(昭和55年)鈴木善幸内閣で法務大臣。1987年(昭和62年)竹下登内閣で国土庁長官に任命され、土地対策にその手腕が期待された。しかし、その矢先に、日本の朝鮮植民地支配をめぐる発言が韓国など近隣諸国で問題となり1988年(昭和63年)5月13日に国土庁長官を辞任。 その後も、裁判官弾劾裁判所長、衆議院倫理審査会会長、自民党憲法調査会最高顧問などを務めた。2003年(平成15年)10月第43回衆議院議員総選挙には出馬せず、長男の奥野信亮に地盤を譲る形で政界を引退。 (引用元 Hatena Keyword)