生年月日データベース

坂元弥太郎さかもとやたろう

プロ野球選手[日本]

1982年 5月24日 生 (満37歳)

坂元 弥太郎(さかもと やたろう、1982年5月24日 - )は、埼玉県蕨市出身の元プロ野球選手(投手)。
2010年の登録名は「弥太郎」。
プロ入り前 広島県広島市で男ばかり四人兄弟の第二子として生まれ、父親の転勤で、小学校入学直前に埼玉県蕨市に転居した。
埼玉県川口市で育つ。
中学卒業直前に実母が胃癌で逝去(享年44)。
浦和学院高校へ進学し、1年生の夏からベンチ入りする。
2年生の夏からエースナンバーを背負うが、当時は公式戦や練習試合でも打ち込まれてしまう事が多く、選抜出場を目指して迎えた秋季大会でも早々に敗退した。
3年時(2000年)は春季大会で埼玉栄高校に打ち込まれ敗退したが、夏季大会までに急成長を遂げ夏の甲子園に出場。
埼玉県大会決勝では中里篤史を擁して優勝候補筆頭だった春日部共栄高校をサヨナラ勝ちで降した。
なお、サヨナラ打となった中前安打で本塁を陥れたのは坂元で、非凡な走塁も見せている。
甲子園でも滋賀県立八幡商業高校戦で1試合19奪三振(56年ぶりのタイ記録)を記録した。

プロ野球選手(投手)。登録名・弥太郎。*1 1982年5月24日生まれ、埼玉県蕨市出身。182cm/86kg、右投右打。背番号は63→11→45→30→13→37。 浦和学院高時代、第82回選手権大会の一回戦で、八幡商(滋賀)を相手に19三振を奪い、一試合の最多奪三振タイ記録をマークしスカウトの注目を浴びた。 2001年ドラフト4位でヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。 2002年にプロ初勝利も一軍での勝ち星は07年までの6シーズンで12勝と伸び悩みを見せていた。 2008年、藤井秀悟・三木肇とともに、押本健彦・橋本義隆・川島慶三との交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。 2010年、稲田直人・松山傑?とともに、加藤武治・松家卓弘・関口雄大?との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。同時に、登録名を弥太郎?に変更。 2011年、大沼幸二との交換トレードで埼玉西武ライオンズに移籍。登録名も坂元弥太郎に戻した。 (引用元 Hatena Keyword)