生年月日データベース

藤原頼経ふじわらのよりつね

公家、鎌倉幕府第4代将軍[日本]

(建保6年1月16日生)

(ユリウス暦) 1218年 2月12日

(ユリウス暦) 1256年 9月1日 死去赤痢享年39歳
藤原頼経 - ウィキペディアより引用

藤原 頼経(ふじわら の よりつね)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。
官位は正二位、権大納言。
鎌倉幕府第4代征夷大将軍。
摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍。
九条頼経とも呼ばれる。
両親ともに源頼朝の同母妹坊門姫の孫であり、前3代の源氏将軍とは遠縁ながら血縁関係にある。
妻は源頼家の娘竹御所。
竹御所は難産の末、母子共に亡くなり、源頼朝直系である源氏将軍の血筋は断絶した。
頼経は反執権勢力に利用されるようになり、第5代執権北条時頼によって京都へ追放された(宮騒動)。

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