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六角承禎ろっかくじょうてい

戦国大名[日本]

(諱・義賢、大永元年生)

1521年

1598年 4月19日 死去享年78歳
六角承禎 - ウィキペディアより引用

『六角義賢』より : 六角 義賢 / 六角 承禎(ろっかく よしかた / ろっかく しょうてい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
南近江の守護大名・戦国大名。
観音寺城主。
生涯 家督相続 大永元年(1521年)、六角定頼の子として生まれる。
父・定頼の晩年から共同統治を行ない、父と共に姉婿に当たる細川晴元を援助して三好長慶と戦った(江口の戦い)。
天文21年(1552年)、父の死去により家督を継いで六角家の当主となる。
六角家は甲賀郡を含む近江国の守護であり、更に伊賀国4郡のうち3郡(阿加郡、山田郡、阿拝郡)の間接統治も行っていた(但し北近江は京極氏の勢力圏となっていた)。
三好氏、浅井氏との争い 父の死後も第13代将軍・足利義輝や細川晴元を助けて三好長慶と戦うが、優勢であった三好氏との勢力差が逆転し、敗戦し続けた。
しかし永禄元年(1558年)、北白川の戦いの後に義輝と長慶の和睦を仲介することで義輝を京都に戻し、面目を保っている。
これを契機に、対立していた北近江の浅井久政が六角領に対して侵攻を開始するが撃退し浅井氏を従属下に置いた。

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の言及 【六角氏式目】より …近江国南半を領した大名六角氏が1567年(永禄10)4月に制定した67ヵ条よりなる分国法。〈義治(よしはる)式目〉とも呼ばれるが,原題は〈置目〉であり,諸伝本には六角義治の署判のものだけでなく,義治とその父六角承禎(じようてい)(六角義賢)の連署のものがあり,当時の実情からいって後者が原形を正しく伝えているので,この名称はふさわしくない。この分国法は1563年の観音寺騒動という内乱,つづいて66年の浅井長政との戦いにおける惨敗という六角氏危急存亡のときに,領国の支配体制再建を目的として制定された。… 【六角義賢】より …南近江の戦国大名。六角定頼の嫡男。1539年(天文8)能登守護畠山氏の娘と婚姻,同年上洛し,従五位下・左京大夫となる。はやくより父と行動し,40年伊勢へ出陣,46年には足利義藤(義輝)の元服に列席した。その後義藤を助け,再三京に出兵し,幕府政局に関与した。52年父の死により家督をつぐ。57年(弘治3)には養女を本願寺顕如に入れ,伊勢に出兵し,また日置流弓術を伝授された。同年末に定頼の七周忌を行い,剃髪して承禎と称し,家督を長男義弼(義治)に譲った。… ※「六角承禎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 (引用元 コトバンク)

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