生年月日データベース

村山槐多むらやまかいた

画家[日本]

1896年 9月15日

1919年 2月20日 死去スペイン風邪享年24歳
村山槐多 - ウィキペディアより引用

村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 - 1919年2月20日)は、日本の洋画家。
生涯 愛知県額田郡岡崎町(現:岡崎市)に父・村山谷助と母・たまの長男として生まれた。
母たまは結婚前に森鴎外家で女中奉公をしており、その縁で鴎外が名付け親となった。
10代からボードレールやランボーに読み耽り、詩作もよくした。
その早熟さ、デカダン的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。
また、22歳で夭折した点まで同時代の関根正二とよく比較されるが、2人の作風はまったく異なっている。
画家自身のほとばしる情念や不安を反映した槐多の人物像は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。
画家の山本鼎は従兄。
1919年2月、そのころ猛威を振るっていたスペイン風邪にかかり、寝込んだ。
2月19日夜9時ごろ、みぞれまじりの嵐のなかを外に飛び出し、午前2時ごろ畑のなかに倒れているのを発見された。
取り押さえられた槐多は失恋した女性の名など、しきりにうわごとを言っていたが、2時30分に息をひきとった。

■ 関連書籍

■ 音楽作品

  • タイトル
    大地-音楽のある星に生きて
    歌手
    朗読
    発売元
    EMIミュージック・ジャパン
    発売日
    1992年6月24日
    新品価格
    より
    中古商品
    ¥ 1,000 より

むらやまかいた [生]1896.9.15.横浜[没]1919.2.20.東京画家,詩人。幼時を京都で過し,京都府立第一中学校卒業。従兄の山本鼎の感化を受けて画家を志し,1913年上京,小杉放庵の家に寄寓して日本美術院研究所に学んだ。中学時代からボードレールらに親しみ,また前衛的な水彩画などを描いたという。14年二科展,15年日本美術院展にそれぞれ初入選した。17年には代表作の一つ『湖水と女』で美術院院友に推され,19年に『松と榎』などで美術院賞を受けるなど将来を期待されたが,画業なかばで夭折した。死後,詩や散文を集めた遺稿集『槐多の歌へる』(1920),『槐多の歌へる其後』(21)が出版され,豊穣なイメージを展開する自在なうたいくちが高村光太郎らに激賞された。その生涯は退廃,放浪の生活であったが,作品は青春の哀愁をフォービスムを基調とした陰影の濃い画面に表現した。主要作品はほかに『バラと少女』(17,東京国立近代美術館)があり,『村山槐多詩集』(51)もある。 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 生涯
  • ボードレール
  • ランボー
  • 代表作
  • 作品
  • 小説
  • 岡崎市
  • 愛知県
  • 森鴎外
  • 結核
  • 絵画
  • 肺炎
  • 額田郡
  • たま
  • アルチュール
  • シャルル
  • デカダン
  • 前半
  • 名付け親
  • 夭折
  • 失恋
  • 奉公
  • 女中
  • 岡崎町
  • 村山
  • 槐多
  • 生活
  • 結婚
  • 詩人
  • 詩作
  • 谷助
  • 長男
  • 鴎外