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コンモドゥスLucius Aurelius Commodus Antoninus

第17代ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0161年 8月31日

(ユリウス暦) 0192年 12月31日 死去暗殺享年32歳
コンモドゥス - ウィキペディアより引用

コンモドゥス(Commodus, 161年8月31日 - 192年12月31日、在位期間180年 - 192年)は、177年から180年の父マルクス・アウレリウスの死までは父と共同で、それ以降192年までは単独でローマ皇帝を務めた。
ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス(Lucius Aurelius Commodus)として生まれ、死去した際はルキウス・アエリウス・アウレリウス・コンモドゥス(Lucius Aelius Aurelius Commodus)という名前であった。
彼の治世は一般にパクス・ロマーナとして知られるローマ帝国の歴史における黄金期の終わりを示すと考えられている。
父の在位中、172年のマルコマンニ戦争でマルクス・アウレリウスに随行し、176年には東部地方を巡遊し、177年にローマ史上最年少の執政官となり、その後、父とともに帝位についた。
79年にティトゥスがウェスパシアヌスの後を継いで以来の、男子が実父の後を継いだ即位であった。
彼はまた、父親と祖父(父親を養子にした)の両方を前の2人の皇帝として持つ最初の皇帝でもあった。
コンモドゥスは、初の(また、337年までは唯一の)「紫色(父親の統治している間の意味)に生まれた」皇帝であった。
単独統治の間、帝国はマルクス・アウレリウスの治世と比較して軍事紛争が減少していたが、陰謀や謀議がはびこり、コンモドゥスは次第に独裁的なリーダーシップをとるようになり、ついには宗教のような個人崇拝に至った。
192年におけるその暗殺は、ネルウァ=アントニヌス朝の終焉を意味した ……

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