生年月日データベース

中里太郎右衛門なかざとたろうえもん

唐津焼陶芸家・13代目[日本]

1923年 5月31日

2009年 3月12日 死去慢性骨髄性白血病享年87歳

13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。
本名・中里忠夫。
法号・中里逢庵。
佐賀県唐津市生まれ。
日本工匠会会長。
国際陶芸アカデミー会員。
中里太郎右衛門 (12代)の長男。
弟の中里重利、中里隆も陶芸家。
1943年(昭和18年)、東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)工芸図案科卒業。
1951年(昭和26年)、日展初入選。
1965年(昭和40年)、現代工芸美術家協会視察団として欧州、中近東視察。
1969年(昭和44年)、13代中里太郎右衛門襲名。
1984年(昭和59)、「叩き唐津手付瓶」により日本芸術院賞受賞。
1992年(平成4年)、佐賀県重要無形文化財認定。
1995年(平成7年)、唐津市政功労賞受賞。
2002年 長男・忠寛に名跡を譲り、得度して逢庵と号する。
2007年 12月、藝術院会員となる。
2008年(平成20年)、旭日中綬章を受ける。
2009年(平成21年)、3月12日慢性骨髄性白血病のため死去。

■ 関連書籍

なかざとたろうえもん 唐津(からつ)焼の陶工の家系名。江戸初期に作陶を始めた中里又七を祖とし、唐津焼御茶碗窯(おちゃわんがま)を継承する中里家は、歴代作陶に従事した家系で、現在14代目を数える。うち、12代太郎右衛門(1895―1985)は11代天祐(てんゆう)(1854―1924)の次男として唐津に生まれ、幼名は重雄(しげお)。1927年(昭和2)に12代を襲名。歴代のなかでとくに桃山時代の古唐津の復興に力を尽くし、雅陶唐津焼をよみがえらせ、また叩(たた)き技法による独自の唐津焼を生み出した。1976年(昭和51)重要無形文化財保持者に認定。晩年は得度して無庵(むあん)を号し、長男に13代を譲り作陶に専心した。13代太郎右衛門(1923―2009)は本名忠夫(ただお)。父の後を継いで古唐津陶技の復原に携わるなかで、土器、器(せっき)、磁器の制作も手がけ、1969年に13代を襲名。2002年(平成14)京都市の大徳寺で得度し逢庵(ほうあん)を号し、同年長男に名跡を譲った。2007年日本芸術院会員。14代太郎右衛門(1957―)は本名忠寛(ただひろ)。2002年3月に14代を襲名した。[矢部良明]『『十二代中里太郎右衛門唐津作品集』(1975・講談社)▽林屋晴三編『現代日本陶芸全集8中里無庵他』(1982・集英社)▽『十三代中里太郎右衛門』(1985・講談社)▽富岡行昌・鈴木健二著『人間国宝中里無庵炎の生涯』(1986・佐賀新聞社)▽中里逢庵著『唐津焼の研究』(2004・河出書房新社)』[参照項目]|唐津焼 (引用元 コトバンク)