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草森紳一くさもりしんいち

文芸評論家[日本]

1938年 2月23日

草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2008年3月20日)は、日本の評論家。
北海道河東郡音更村(現・音更町)生まれ。
北海道帯広柏葉高等学校を経て、1浪後慶應義塾大学文学部に入学して中国文学科に進む。
大学時代は奥野信太郎や村松暎に師事。
また慶應義塾大学推理小説同好会に参加、このときの先輩に紀田順一郎や田波靖男がいる。
映画監督を志望し、1960年に東映の入社試験を受けたが面接で失敗。
1961年、大学卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社し、『男の服飾』を『MEN'S CLUB』に改名する発案をする。
編集室にあった『ELLE』『Mademoiselle』『PLAYBOY』『COSMOPOLITAN』『GQ』等に刺激を受ける。
『婦人画報』編集部に移り伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』などを担当。
真鍋博の推薦で『美術手帖』にマンガ評論を書き始める。
1964年に退社し、慶應義塾大学斯道文庫勤務や慶應義塾大学文学部非常勤講師などを経て評論家となる。
1973年『江戸のデザイン』で毎日出版文化賞受賞。
マンガ、広告、写真など当時、文化の周縁とみなされていたジャンルを論じる著作が多い。

■ 関連書籍

評論家、作家。本人は「物書き」を自称。1938年2月23日北海道帯広市生まれ。 1961年、慶應義塾大学中国文学科卒。在学中は「推理小説同好会」に所属する。同会の先輩には紀田順一郎、大伴昌司らがいた。 なお、卒業時に「出席ゼロ、試験満点」の草森を卒業させるかどうか教師たちの間で議論があり、奥野信太郎の反対を押し切り、中国文学者の村松暎?(村松友視の叔父)が「自分が追試をうけさせる」と主張して、なんとか卒業することができた。 卒業後、婦人画報社で雑誌『メンズクラブ?』『婦人画報?』の編集者を務め、ファッション記事などを担当。『婦人画報』では、伊丹十三(当時は一三)の連載エッセイ「ヨーロッパ退屈日記」も担当している。またこの時代に、大倉舜二など当時の新進気鋭の写真家やイラストレーターとの交友を得る。 退社した1964年、『美術手帖』にアンリ・ルソー論「幼童の怪奇」(のち単行本『ナンセンスの練習』に収録)を発表。以来、さまざまな雑誌において、美術、マンガ、写真、デザイン、広告、文学、歴史、旅、都市など多岐にわたるテーマで執筆し、まさに「雑文の大家」というべき独特の評論活動を展開した。こうした専門にこだわらない姿勢は、全人的な生き方を示す中国文学から培われたものだという。 余談ながら、執筆量がピークを迎えていた30歳前後のエピソードとして、1966年のビートルズ来日時に、メンバーの泊まったホテルの向かいの部屋に陣取りながらもまったく取材をしなかったという話や、1968年に『話の特集』誌上で手塚治虫の功罪を論じたところ、それに対して手塚本人が徹夜で反論 …… (引用元 Hatena Keyword)

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