生年月日データベース

宮下昌己みやしたまさみ

プロ野球選手[日本]

1965年 1月4日 生 (満53歳)

宮下 昌己(みやした まさみ、1965年1月4日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物 調布市立神代中学校では荒木大輔と同級生。
日大三高に進み、エースとして1982年夏の甲子園西東京予選決勝に進出するが、日大二高に完封負け、甲子園出場を逸する。
同年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。
1986年には40試合に登板、3勝をあげる。
同年は先発としても8試合に起用されるが結果を残せず、翌1987年には中継ぎに専念し50試合に登板、自己最多の5勝を記録した。
1987年6月11日の対読売ジャイアンツ戦(熊本藤崎台球場)で、ウォーレン・クロマティの背中に死球を与えた。
その際、クロマティはマウンドに駆け寄りながら、宮下に対し帽子を取って謝るようジェスチャーを交えながら要求。
それでも宮下は帽子を取らなかったため、マウンド上でクロマティは宮下の左顎へ右ストレートパンチを放つという暴力事件が当時話題となった。
この時、宮下はなぜ帽子を取らなかったかというと、(本人曰く)「あの時、実は狙っていました。

80〜90年代のプロ野球選手。 右投右打、ポジションは投手。背番号は60→16→12番。 1965年1月4日生まれ。東京都出身。 日本大学第三高校から1983年、ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。 1986年、一軍に定着し中継ぎ投手として活躍。 同年40試合、翌1987年には50試合に登板。 1987年6月11日、熊本藤崎台県営野球場での読売ジャイアンツ戦で、ウォーレン・クロマティ選手の背中に死球を与え、右ストレートパンチを食らう。*1 1990年、広橋公寿・小川宗直との2対2の交換トレードで、大宮龍男と共に西武ライオンズに移籍。 1991年、現役引退。 その後、東京で飲食店を経営し、 現在は、少年野球チームの東京青山シニアのコーチを務める。 *1:死球を受けた際、帽子を取って謝罪するよう要求したが、それに応じなかったため暴力行為に及んだそうで、きちんと謝罪していれば暴力行為は回避できていたかもしれなかった。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 投手
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  • プロ野球
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  • 東京都
  • 神代
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  • 荒木大輔
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