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織田作之助おださくのすけ

作家[日本]

1913年 10月26日

織田作之助 - ウィキペディアより引用

織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。
通称「織田作(おださく)」。
1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。
仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
当時両親は母方から結婚反対に遭っていた為に婚姻届を提出できておらず、戸籍上は母の兄・鈴木安太郎の甥「鈴木作之助」という形をとった。
作之助が「織田作之助」となるのは、1926年に両親が正式に入籍を果たしてからである。
1920年(大正9年)、大阪市立東平野第一尋常高等小学校(現・大阪市立生魂小学校)に入学。
1931年(昭和6年)、旧制大阪府立高津中学校(現・大阪府立高津高等学校)を卒業し、第三高等学校(新制京都大学教養部の前身)文科甲類に合格を果たす。

■ 映像作品

■ 関連書籍

■ 音楽作品

おださくのすけ [生]1913.10.26.大阪[没]1947.1.10.東京小説家。第三高等学校に5年在学して退学(1936)。『雨』(38)で武田麟太郎に認められ,結婚(39)後,『夫婦善哉(めおとぜんざい)』(40)で作家としての地位を確立,『勧善懲悪』(42)ほかの力作を続々発表したが,長編『青春の逆説』(41)が反軍国主義作品として発禁処分を受けた。1946年,『六白金星』『アド・バルーン』『世相』『競馬』など敗戦直後の混乱の世相を描いた短編を発表,また私小説の伝統に決別宣言をした評論『可能性の文学』を執筆,その実験的作品と目された長編『土曜夫人』を8月より『読売新聞』に連載したが,年末に喀血し,翌年死去した。一切の思想や体系への不信,旧伝統への反逆を目指し,固有の感覚や直観に裏づけられたスタンダール風のテンポの早い作風であった。 (引用元 コトバンク)

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